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ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ (スノフスク公) : ウィキペディア日本語版
ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ (スノフスク公)
ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ(、1171年 - 1212年以降)は、チェルニゴフ公ヤロスラフとその妻イリーナとの間の子である。スノフスク公:1181年 - 1203年、ヴィシゴロド公:1212年。聖名イヴァン。
ロスチスラフはルーシの年代記レートピシ)上において、2回の言及がみられる。1回目は、1203年にチェルニゴフ・オレグ家(ru)の諸公とともにキエフを攻めたという記述であり、2回目は、1212年にムスチスラフによって、兄弟のヤロポルクとともにヴィシゴロドにおいて捕虜となったという記述である〔Горский А.А. Русские земли в XIII—XIV веках. Пути исторического развития〕。
妻はウラジーミル大公フセヴォロドの娘であるが、子に関する記述は残されていない。
==出典==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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